【LGBTQ 生き方】ノンバイナリーのわたしが観音さまから学んだ「変わる自分」を愛する方法
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【LGBTQ 生き方】ノンバイナリーのわたしが観音さまから学んだ「変わる自分」を愛する方法
わたしは普段は会社員として働きながら、このブログで日々の気づきとか考えたことをシェアしてる。LGBTQの中でもノンバイナリーに属するわたしの日常に興味があったら是非読んでみてね。
平日は、レディースもののパンツスタイルと最低限のメイク、髪はお団子で会社で一生懸命働いてるけど、休日は、スカートやワンピースで過ごすことが多いというか、それがわたしの1週間で、もう変わらないスタイルになってる。そうやって「自分らしさ」と「社会での役割」のバランスを取ってるの。
わたしも昔は本当に悩んでたんだ。特に、心の中で性が揺れ動くこと、そして相手や状況によって表情や声、着る服まで変わってしまう自分が、誰かを騙しているようで悪いって、ずっと思ってた。この「本当のわたしって何だろう?」っていう問いに答えを出そうとするたびに、いつも心が疲れて、時には自己否定の沼にハマってたんだよね。
でもね、そんなわたしを救ってくれた、人生観が変わるような大きな気づきがあったんだ。それは、「相手や状況によって変わる自分こそが自然であり、そのままの自分で誰かの役に立つことができれば、とっても楽に生きられる。そして、わたしだけの個性なんだ」ってこと。
じゃ、わたしがどうやってたまに陥ってた自己否定の沼から抜け出し、「自分らしく生きてて良いんだ!」って心から思えるようになった小さな気づきのストーリーをシェアするね。
わたしの小さな気づきが、もしかするとわたしと同じような悩みを抱いている誰かの心がフワッと軽くなったり、自分の中の「揺らぎ」を受け入れられるようなきっかけになったら嬉しいな
ノンバイナリーの「揺らぎ」と葛藤:「本当のわたし」の定義を諦めた理由

まず、ノンバイナリーというカテゴリーの人たちが全員同じじゃないので、これはあくまでもわたしのケースだってことで読んでね。わたしの場合、「常に変化し続ける性」みたいなものなんだよね。今日は女性的な表現をしたいと思っていても、明日は中性的かもしれないし、もしかすると男性的かも知れない。この流動性が「わかりにくい」とか「不安定」だと思われるかも知れないし、自分自身でもよく分かんないんだよね。。
相手によって変わる自分は「嘘」?自己否定の深層
わたしが一番苦しかったのは、「一貫性の欠如」に対する罪悪感だったんだよね。仕事で会社員として振る舞うわたしと、週末にスカートで過ごすわたし。また、時間帯でも性表現が違ったりする。これらのペルソナが違うことが、なんか自分の軸がないみたいで、後ろめたく思ったり、誰かを騙しているんじゃないかと思って、ずっと悩んでた。
- 「会社にいる時のわたしは、週末に友人といる時と違う。それってどちらかを騙してるってことなのかな?」
- 「休日が『本当のわたし』なら、平日のわたしは『偽物』なんじゃないか?」
当時のわたしは、自分の揺れ動く多面性を「欠点」として捉えてたんだよね。まるで、TPOに合わせて服を変えるように、自分の本質まで変えているような気がして、自己肯定感がどんどん下がってたんだ。「安定した自分」がないとダメだと思って、無理やりある型に自分を押し込めようとして、苦しんでたんだよね。
「LGBTQ 生き方」の問い:自分を定義する必要はある?
いろんなLGBTQに関する本や記事を読んだけど、どこにも明確な答えはなかったんだよね。当たり前だけど、人それぞれ生き方は違うから。でも、その「答えがない」ことが、逆にわたしを焦らせたんだ。
だけどね、あるとき気づいたの。「本当の自分って何?」**って問い自体が、そもそも違っているんじゃないかって。
世間からすると、「あなたは男?女?」って、常に明確な性別であることを求められるよね。でも、わたしの性は、そんな二元論や、言葉で簡単に説明できないの。
わたしは、「本当の自分」を定義することを、もう諦めたんだよね。そして、その代わりに、「わたしは今、どうありたい?」っていう、別の問いを自分に立てらるようになったんだ。
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人生を変えた対話:女友達の問いと「相手の役に立つ」という軸

「定義を諦めた」ことで、自己否定の沼からは大分抜け出せたけど、まだ心の中には、「じゃあ、男女どちらを軸にして生きていけばいいんだろう?」っていう不安が残ってた。そんな時、信頼できる女友達との会話が、わたしの生き方に大きな気づき与えてくれたんだよね。
「結局、どうなりたい?どうしたい?」:運命を変えた一言
わたしの中での性の揺らぎや、時間帯や状況、相手によってそれが変わってしまう自分の話をしたとき、彼女はわたしの内側に目を向けて、こう問いかけてくれたんだ。
「ねえ、それで、かおちゃんは結局どうなりたいの?どうしたいの?」
この問いを聞いたとき、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走ったの。わたしは、自分のジェンダーをどちらかに固定しようなんて1mmも思ってなかったことに気づいたんだよね。それよりも、わたしらしく一人の人間として自然な願いが、心の奥底にあったの。
それは、どんな自分であっても「目の前にいる相手の役に立ちたい」っていう強い気持ちだったんだ。
この気づきを得た時、これまでの色んなことが繋がったんだよね。わたしが相手や状況に合わせて服装や話し方が変わるのは、無意識に「自分を守るため」にしてるんじゃなくて、「その状況で相手にとっても自然で、何か貢献できるため」の自然な変化だったのかも知れないって。
- 仕事の同僚には、プロとして信頼される「会社員としてのわたし」が一番役に立つ。
- 家族には、ありのままの「愛を注ぐわたし」が一番役に立つ。
- 女性の友達といる時のわたしは、相手も安心できるような自分でいる。
「相手によって変わる」ことを「相手を騙す行為」じゃなくて「相手の役に立つためのわたしの特性」だって捉え直した瞬間、心がフワッと軽くなったんだ。これこそが、わたしが一番楽に力を発揮できる生き方なんだって、確信できたんだよね。別にLGBTQだからじゃない。わたしだからできること。
観音さまの教え:「33の姿に変化して人を助ける」究極の多面性
この気づきを得たときに、わたしが連想したのが観音さまの存在。私はよくお寺に散歩に行って観音さまを拝むことが多いけど、観音さまって、人々の悩みや願いが違うから、33もの異なるお姿に変化して私たちを救ってくれる。
観音さまとわたしを比べること自体恐れ多くて罰当たりなことだけで、わたしが持つバリエーションなんてせいぜい2〜3種類。でも、そのすべてが「誰かの役に立つことができるかも知れない」と思うと、それって決して悪いことじゃない。観音さまは、「多様な姿を持つことも優しさであり、力である」ってことを示してくれてるのかも知れない。
わたしはちっぽけな人間だけど、「人のお役に立つため、相手に合わせて、その少ないバリエーションの中で変化する。でも、その全部が自分」という生き方をするのは、ノンバイナリーなわたしの多面性を肯定する、最高の方法だと思ったんだ。
これで、わたしがLGBTQどうこうじゃなくて、自分の生き方の軸が定まってきたんだよね。自分のジェンダーがどう定義できるかなんて、どうでもいい。ただ、どんな自分でいても「目の前の相手に焦点を合わせて、その人のお役に立つにはどうすればいいか考えて生きる」。この考え方は、わたしに自信と生きるエネルギーをくれるんだよね。
多面的な自分を活かす:「観音さまミニチュア版」の具体的な実践法

軸が定まってきても、日常生活でどう実践するのかは、やっぱりちょっと難しい面もある。わたしが実際に会社員としての生活や家庭の中で、この「ミニチュア版観音様」の生き方をどう目指して実践していくのかについてちょっと考えてみたよ。
実践1:TPOは「相手への愛」として捉える
会社では相手にフォーカスを当てて「社会人として相手に不快感を与えない」ことを最重要視する。そうすれば自分の性の揺らぎもよりも、相手はわたしに何を望んでるかがが分かれば、その相手の期待に応えるべく最大限頑張る。そうやって成果を上げながら信頼関係を構築していく。そうすれば相手もわたしの性の揺らぎなんてそれほど気にしなくなって、「そういう人なんだ」って自然と理解してくれるようになり、信頼関係も深まっていく。それで結果的には会社にも貢献することができるもんね。
- 「役割や状況」に合わせて自分が変わるのは、偽りじゃなくて思いやりや愛なんだって思うようにする。
- 「相手の役に立つ」という目的があるから、どんな格好でも、どのペルソナでも、すべてが「本当のわたし」なんだ。
反対に、休日に一人でいる時にスカートを履いたりワンピースを着ているのは、「わたしが自分らしくいるため」で、自分に対する思いやり。好きな格好していることで心のエネルギーが満たされるし、心が満たされれば、結局は家族や友人の役に立つことができるようになると思う。
実践2:家族と共有する「わたしのバリエーション」
わたし自身が自分の多面性を受け入れて、無理して何かを演じようとしないこと。揺らぐなら、揺らぐままで。それがわたしのありのまま。そうやって自分なりの自然体で生きていれば、いずれ、周囲もわたしのすべてのバリエーションと調和が取れるようになると思う。
これは、わたしが「自分のありのまま」を隠さず、自分以外の誰かの役に立とうと懸命に生きる。そうしている限り、わたしはどこでどんなペルソナが出て安心していられる。他者は自分の鏡って言われる通り、わたしが自分らしくいて相手に心開いていれば、相手も同様にわたしに対して心開いてくれるはず。
実践3:ノンバイナリーならではの「共感力」を仕事に活かす
わたしの中にある男性性と女性性。この両方のものの見方、つまり、これって多様な視点を持ってるとも言えるよね。この視点を、仕事でもプライベートでも「人とのコミュニケーション」に活かしていこうと思う。
- 男性の同僚・友人の悩みには、男性としての経験を踏まえて寄り添える。
- 女性の同僚・友人の悩みには、自身の中の女性性に基づいて寄り添える。
この「両方の視点を持っていること」が、ノンバイナリーで性の揺らぎを抱えるわたし独自の武器にもなると思う。こうやって多角的に人を助けられるようになれば、わたしの誇りになるはずだし。
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心が楽になる!「LGBTQに捉われない生き方」を続けるための7つのマインドセット

結局、LGBTQであろうがわたしは一人の人間なので、どう生きるかは、自分自身との対話を続けることであり、社会との関わりだよね。孤独を感じたり、自信を失ったりしたときに、わたしが自分を支えるために使っている、7つのマインドセットをシェアするね。
マインドセット1:罪悪感は「それがわたしらしさ」だと変換する
「揺らぐ自分は悪い」という罪悪感が湧いたら、すぐに「これはわたしらしい自然な変化であり流れなんだ」と変換する。わたしが変化するのは、きっと誰かのお役に立つためだって思いこむ。そう考えるとめっちゃ楽になるからね。
マインドセット2:「流れ」に抗わず、ジェンダーを川のように捉える
ノンバイナリーであるわたしのジェンダーは、「川の流れ」のように捉える。流れは止まらないし、常に変化するもの。無理に定義したり、流れることに疑問を持ったり、流れに抗って疲れたりしないで、ただその流れに身を任せて楽しんでみる。
マインドセット3:一人称は「わたし」で、性別を曖昧にする自由を楽しむ
わたしは一人称を「わたし」とか「自分」にしてるけど、これは性別を明確にしない、曖昧さの自由を楽しむためでもあるのかも。言葉遣いや服装で、自分の性別を限定しない自由を、意識的に楽しんでみよう。
マインドセット4:「自分を満たす行動」を毎日1つだけやる
毎日最低1つだけ、「自分の正直な気持ちを満たす行動」をしてみる。わたしは、好きなメイクをしたり、しなかったり、その時に着たいと思う洋服を着たり、やりたいことをやる。この小さな行動が、「自分を満たす」ことになり、また頑張ろうっていうエネルギーになる。
マインドセット5:自己肯定感を高めるための「日々の感謝」
毎日、「今日、わたしが生きているのは周囲のお陰」だって感謝をする。いつも通勤途中にあるお寺で、手を合わせてるんだけど、何か願いことするんじゃなくて、人知を超えた大いなる何かに感謝を伝える。私は無宗教だけど、それでも世の中には何か大いなる力があるとは思っているので、こうやって感謝を伝えると、すごく心が平穏になるんだよね。
例:「いつも見守って頂いてありがとうございます。こうやって生かして頂いてありがとうございます。今日も誰かのお役に立てるよう精一杯頑張ります」
これを続けると、「わたしの存在にはきっと意味がある、何かの使命があるはず」っていう自信が育っていくのを感じるよ。
マインドセット6:LGBTQの中の多様性の1つとして自分を捉える
LGBTQって枠に捉われず、 「誰かの真似」なんてしなくていい。わたしはわたし。同じノンバイナリーでも多様性があるわけだから、そういうストーリーを見聞きした時、「彼らの生き方でわたしにとって参考になること」を探してみる。すると、さらに楽になったり幸せになったり、より周囲のお役に立てるヒントが見つかるかも知れないし。でも、最終的にはわたしはわたし。その独自性を忘れない。
マインドセット7:失敗を恐れず、「挑戦」を軸にする
「揺らいで変わるわたし」で生きていると、時には社会的な抵抗を受けることもあるかも知れない。でも、それも乗り越えるべき壁。「自分らしく生きることに対する挑戦を止めないこと」が、わたしの生き方の核にする。失敗したって死ぬわけじゃないし。ただ「今回はこのバリエーションが相手の役に立たなかった」と考えて、また次の挑戦に活かせばいいし。恐れる必要なんてない。
【まとめ】「LGBTQ 生き方」には様々なバリエーションがあって、答え自分の中にある

今回はノンバイナリーのわたしが気づいた「性の揺らぎを持つ自分を大事にする生き方」についてシェアしてみた。もちろん、これが誰にでも当てはまるわけじゃないし、LGBTQ 生き方の答えなんてどこにもない。だから、誰かに教えてもらうのを期待するんじゃなくて、自分の内側にある軸を見つけることしかないと思う。
わたしのこの気づきは、女友達からの問いかけと、「観音さま」というひらめきの意外なところから生まれたけど、その核心は、「生きてるんだったら誰かの役に立ちたい」という、わたしの人としての単純な願いだったの。
もう一度、わたしの大切な気づきをまとめるね。
- 「揺らいで変わるわたし」は川の流れのようなもの。それは、相手の役に立つためにも役立つし、決して偽りじゃない。すべてが自分。
- 自分のジェンダーや性的表現の揺らぎは、多角的な視点で人を助けられる可能性を持ったわたしのオリジナルな個性。それを生かして行こう。
- 「誰かの役に立つこと」を軸に据えれば、LGBTQ 生き方における自分なりの1つの答えとして、ブレない、確固たるものになっていくはず。
わたしはこれからもノンバイナリーな自分として、日常に起こったことや、気づいたことをこうやってシェアしていくね。でも、これは押しつけでもなんでもなく、わたしはそう思ったよっていう1つの考え。それが正しいかどうかなんて分からない。自分の揺らぎを個性として受け入れ、自分らしく楽に生きるための小さな行動を始めてみると楽になったよっていうこと。
LGBTQ 生き方じゃなくてわたしという人間の生き方が、誰かの役に立てるならそれ以上嬉しいことはないよね